あのおでぶすぎる猫、スムーキーが、大空を飛ぶ姿を想像してみて。
・・・とてもではないけれど、想像出来ないわ。だっておでぶなんだもの。
椅子に登るだけなのに、大きな体が重すぎて、う~ん!と頑張ってジャンプしているのだもの。
空なんて飛べるはずがない。
でも彼の魂は、重い体から飛び出して、青い空の彼方へ飛んでゆきました。
スムーキーは私がparisで間借りをしていたT家の猫で、約1年近く、毎日私の部屋に入ってくる生活が続いていました。
まさか間借りをする子が、ここまで飼い猫になつくとは、T家の皆さまも驚きだったのではないかというほどに、多くの時間を一緒に過ごしました。
異国の地で生活することは、とても楽しい半面、寂しい時もあるものです。私にとって彼は、寂しさから解放させてくれる、温かい存在でした。
T家のMちゃんから連絡が来たのは、今日からちょうど一週間前のこと。
その日は、ミラノは朝から快晴だったのだけど、夕方に突然、大きな強い嵐がやってきました。
雨が止むと、二重の大きな虹が架かっていて、とても嬉しかったので写真を撮って、それを取り込もうとPCを開いたら、彼の死を告げるメールが来ていました。
すぐに受け入れることが出来なかったので、虹のある七色の空を求めてベランダに出たら、
少し離れた向かいのマンションの家の猫が、偶然にもベランダに出てじっとこちらを見ていました。
吸い込まれるように見つめてしまったわ。その瞬間まで、向かいに猫が住んでいるなんて知らなかったから。
不思議な出会いってあるのね。
T家のMちゃんは彼が亡くなってすぐに、私にメールをくれました。
彼女は日本語を勉強中というのもあって、ひらがなだけの、たどたどしい言葉で、想いを伝えてくれました。
子供のようなシンプルな表現は、こちらの胸に深く響きました。
T家、そしてMちゃんにとって彼は、かけがえのない、大きな愛の形をした存在だったことは、誰が見ても一目瞭然。
彼の写真を持っていたら送ってほしい、と彼女は書いていて、私は毎日のように撮っていたので、色々な表情の写真を送ることが出来ました。
全てこの時の為に撮ったのではないかしらと思えるほど、写真の力強さを実感しました。
とても静かで、とてもとても優しい、とてもとてもとても・・・おでぶな猫でした。
出会った時点で、いつかそういう日が来ることは解っていることで、
それは人間関係でも同じこと、全てはうつろう永遠ではないもの(この世界では)、と受け入れて理解しようとすることは、強く生きてゆく為にとても大切。
いつでも、どのような時も、そういう白と黒のはっきりした答えのある、例えば左脳を使うような考え方は、
曖昧な灰色の心や感情の世界にとって、明確な光を照らすような存在だと思っています。
そしてそれは、心の世界を深く考えたうえで成り立たなければ・・・、強すぎる光は繊細なものを壊してしまうこともあることに、気付かなければならないとも思っています。
ありのままをよく観察して、そこからあらゆることを想像することが、優しい柔らかい光なのではないかしらと思うのです。
そういう色々なことを、不思議なほどに、動物は教えてくれます。本や、ネットにはない神秘的な秘密を教えてくれるのですよね。
空飛ぶスムーキーを想像してみる。難易度が高すぎる。
せいぜい、柔らかい白い雲が、彼のお腹に似ている気もするけれど、少し無理があるわね。
あと数ヶ月後に、私はparisに行く予定を立てていたのよ。
会いたい人達がいるから行くのだけれど、でも私はあなたに一番会いたかったの、スムーキー。
あぁ、もう少しだけ、待っていてくれたらよかったのに。もう一度、抱きしめたかった。
・・・・・と、結局は、自分勝手な、人間らしい想いを抱いてしまうのだけれど。