日曜の午後に、昨夜の美しい夕陽を想い出す。debussyの優しい音のなかで。 毎月最終の土曜に「トドの会」を開いてくださる、絵描きのW氏宅の窓から見える景色は、パリの絶景をパノラマで見渡せる素敵な風景。 モンマルトルの丘のサクレクール寺院のシルエット、エッフェル塔、ノートルダム寺院・・・。 トドの会では、賛美したのち皆で聖書を読みます。 W氏を囲むようにして氏のおはなしを聞いたあと、おいしいおいしい、カレーを皆で頂きます。 和食が日常から離れた毎日は、食べること=生きること、 と実感せずにはいられないパリでの生活で、本当に心のあたたまるひとときです。 昨夜はさらにとても美しい夕陽を見ることが出来ました。 写真は22時頃。線香花火のおわりのころの、真っ赤な火の玉がぽとん、と今にも落ちてしまいそうな光景が、 モンマルトルの丘の横に広がっていました。 頂いて感謝することだけしか出来ないということを、感じることができるということ。 その感情さえも頂いたものなのかしら。 何かを美しく感じる感情も?本当に、すべてが不思議。
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sense of wonder
不思議さを感じることのできる、こころの不思議。
その謎を探るような日々の足あとを綴ります。
2010年6月3日
パリでは「大人として」取るべき行動は、子供とはしっかり区別されているように思いますが、
「社会人として」というニュアンスで別くくりにしての考え方は、どうやら無いに等しいように思います。
それとも私たちには、「社会人としてどうなの?」という見えない空気を察知するようなフランス人にはないセンサーが、ひとつ多いのかしら。
友人mo曰く、日本人と、ほか数ヶ国の人々の体内にのみ”特別なセンサー”があるという事を、科学的に証明されているらしいとのこと。
(ただの耳知識で、文献等ございませんが。ご存知の方いらっしゃったら教えてください。)
私たちのDNA、はたまた巻き貝?の不思議は、果てしない。
もう少し耳をすませたら、世界は違って見えるかしら。
2010年5月29日
5月も後半。パリは夜の10時近くまで、夕方のように明るい日々が続いています。
8時を回った時点で、まだあと2時間は昼間のような時が続くと思うと、誰かとカフェに行って話をしたくなります。
(昼間は少し眠くなるのに、この時間から目が覚めてしまう。)
今日はアトリエの友人moと、日が暮れるまでおしゃべり。
早速、店の内から外に向かってスケッチを始めるmo。
少し小太りのおじさんたちの延々続く陽気な立ち話の様子を描きながら、
改めてフランス人のおしゃべり好きを微笑ましく思う。
扉の向こうに見える、緑や建物などを描きながら、
「たまに一部、ささっといいかげんになってしまうのよね。よくないわぁ」と、mo。
でも私は、それでいいと思う。何かを見つめている時、ヒトの目は一点にのみピントが合っていて、
そのまわりはぼんやりしているのです。
なんとなく好きな風景をデジタルカメラなどで手軽にメモしても、
印象が異なるのはあたりまえのこと。
見つめた瞬間の印象をそのまま撮る事が出来る腕があれば別だけれど(私には全くありません)。
moは、そうは言いながらも、最近はあまり写真を撮らなくなった・・・と言っていました。
moはあまり自分から言わないけれど、多彩な人です。
気がつくと日が暮れているのに、周りのどのカフェにも大勢の人がテラス席でおしゃべり。
出来る限り目から心へ、風景のかけらを焼き付けたいと思う。
どこに、ピントを合わせようかしら。
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